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1. ソーラーれんとは

目指すもの

 ソーラーれんは、「足りていればそれでよい」という考え方を基にしています。限られた資源を基にした技術において"効率のよさ"は大事なポイントの1つです。しかし太陽から降り注ぐ膨大なエネルギーの利用を考えるとなると、必ずしも効率が高いことがいいわけではなくなります。 効率を上げるという考え方ではなく、足りているか足りていないかと考えます。ちょうどいいか、ちょうどよくないかという考え方をするのです。

 例えば太陽熱利用で家が調子よくいっている場合に、さらに効率を上げる必要はありません。足りていればそれでいいのであって、もっと集熱効率の高い集熱板をつくる必要性はないわけです。必要なのはそれに投資したお金よりも少なくすることです。効率の高い集熱板をつくるのにお金がかかるのであれば、安くて効率の悪い板でも、足りていればそれでいい。それで済むわけです。

 例えば気密でも、気密度はスカスカではやはり「パッシブ」の効果が薄い。熱を取り込んでいるのだから逃げないようにしなければいけない。熱的な観点だけで見れば、換気は少ないほどいいけれども、居住性というもう少し広い視点に立って考えたら、換気はある程度以下には減らせません。むしろ基本的には「多いほどいい」ということになります。強風が吹き荒れるようなものは困りますが、緩やかな空気が動いているのはいいことなんです。
 
 同じように、例えば断熱性が高ければいいとも言えない。なぜかというと、断熱性を極端に高めて魔法瓶のような家をつくると、その中の温度は調節のしようがなくなるんです。ほどほどに逃げていくから、もう少し暖かくとか涼しくということが可能になる。やはりそれも”ちょうどいい”というあたりの世界を求めることになります。

適正な技術

 「人間には適度な刺激が必要である。それによって、人は生きものとしての活性を得。健全で健康な心と体を保つことができる」というのが、ソーラーれんの基本的な考えです。それには。自然の変化に触れ、それと上手につきあうことです。人間は自然の変化のリズムと同調する本性をまだ失っていません。恒温・恒湿・無刺激な環境は、iCUの患者や未熟児には必要ですが、健康な人には耐えられません。

 都市に住んで、自然からの刺激を享受するようなことは可能でしょうか。もちろん都市環境そのものを悪化させない、よりよい方向に変えてゆく努力に酸化することが必要です。それは、自分や家族の生活をより多く自然の力に依存し、共生していくことと何ら矛盾していません。都市の中でもやれることは多いですし、都市も自然の一形態なのです。

 ソーラーれんは、原始的な生活に満足しようと考えているわけではありません。反対に、新しい技術-----「適正な」技術を利用・開発して、豊かで健康で、自然とともに生きる生活を求めようとしています。今日、明日にでもできることはやり、やりながら改善していきたい。同時に、本当の豊かさや健康とは何か、利便とは何かについても、多くの人と共に考えていきたいと考えています。ソーラーれんは固定した技術ではありませんし、省エネルギー技術だけでもありません。

 地域の自然は地域の気象に大きく支配されています。地域文化も自然や環境と関わって育ってきました。それなのに、ここ数十年の技術と建築は日本中にモノカルチャーをスプロールしてきたのです。「適正な」技術は、根に共通性を持ちながら、再び地域性と多様性を広げる力になるだろうという期待もあります。

参考文献:
※「足りていればそれでいい」は、[シリーズ土曜建築学校]2 パッシブデザインとOMソーラー」 奥村昭雄著 (建築資料研究社)p37を基にしています。
※「適正な技術の利用」は、 「SOLARCAT 30号 OMソーラーテクニカルヒストリー」より「OMソーラーの目指すもの」奥村昭雄著 (OM研究所)p04を基にしています。
※これらの原典より、 OMソーラーをソーラーれんと表記し直して掲載しています。

[ LAST UPDATE Mon, 2010-07-05 14:07 ]
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